閲覧注意
記事にあげないほうが良いかもしれないが、何か勿体ないと思ったのであげる。
一石を投じる
反響を呼ぶような問題提起をすること。
A「あの(流行ってた)映画見た?」
その他「見たよ!面白かった!」
B「あー、あの映画あんまり好きじゃない」
この会話のように一石を投じる人がいる。
たしかに、何でもかんでも同意し続けてるのも気持ち悪い。しかし、その人は、多くの人にとって善な(またはどうでもいい)ことをネチネチ批判していることが多いのではないか。
果たして、その場にいる多くの人と全く違う、その場において見当違いなことをするのだろう。(人前でもSNSでも)
自分の意見を述べているだけだと主張するのであれば、それは人の気分を害しているだけであることを認識して欲しい。
感想を言うのは自由だと主張するなら、そんな人には傍にいてほしくない。
一石を投じることを格好良いと感じてるなら尚更嫌だ。自己顕示欲ならもっと嫌だ。
そんな、文章を書いていて気付いた。
これは一石を投じる(笑)人を無視するという暗黙の了解に一石を投じる(笑)文章ではないかと。
こんな意見を発信する自分自身もそちら側にいるのではないかと。(殆ど見られていないブログとはいえ)
自分も書いているじゃんという自虐や反省の態度を示すのも、そちら側の人であると思われたくないという浅はかな態度が透けて見える。
もっともらしく、一石を投じる(笑)人を批判することと、自分がそのような人で無いことを主張することは永遠に矛盾することなのである。
つまり、無敵なのだ。
一般的な人にとって、この矛盾を打ち破るには、自らも無敵になるしか無い。一般論などではなく、双方のエゴの醜いぶつかり合いをするしか無い。
私はそこまでして抗いたくはない。
生まれて初めて圧倒的な敗北を喫した。
そんな嫌な思考が色濃くでた文章
↓
なぜ自分で組む構築が弱いのか〜ポケモン対戦に誇り(笑)を持ってる人には非推奨〜